2012年09月19日

13映像人類学 村尾静二さん


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肉体のシラットは友を探すためにある
内面のシラットは神を探すためにある


ミナンカバウの原始的というか、伝統的なプンチャック・シラットとは、どういうものなのですか?

村尾 インドネシアの人たちは、断食明けの大祭Idul Fitriを迎えると、親類縁者に「mohon maaf lahir dan batin」といって挨拶にまわります。「知らないうちに過ちを犯していたら、ごめんなさい」という意味です。mohon maaf は「ごめんなさい」。lahir は「外にあるもの・肉体」、batin は「内面にあるもの」という意味で、直訳すると、「心身をもって、お詫び申し上げます」とでもなるのでしょうか。

心と身体の両方でお詫びするのですか?ちょっとおもしろい考え方ですね。

しかも、謝るようなことはないかもしれないのに、先に謝るというのは、不思議です。でも、「ごめんください」みたいなことでしょうか。


村尾 先に謝るのではなく、昨年のことを詫びることにより、すがすがしい気持ちで新年を迎えるようです。lahir と batin は、インドネシアでは、宗教的にも文化的にもとても重要な概念となっています。

村尾さんが滞在されたミナンカバウのプンチャック・シラットの師範の方々は、みなさんクマンゴ導師という達人の弟子筋にあたるというお話を聞きましたが、彼はどのような指導者だったのですか?

村尾 クマンゴというのは村の名前です。クマンゴ導師とは、19世紀半ばにそこで生まれ育ったスーフィー(イスラーム神秘主義者)の愛称であり、プンチャック・シラットの達人でもあった彼の技はクマンゴ流として、いまでもミナンカバウに広く知られています。
調査を進めるなかで、私はクマンゴ導師から教えを授かった人たちやその教えの系譜にある人たちから、クマンゴ流についてかなり詳細にお話をうかがうことができました。そこで大切にされている「クマンゴの言葉」をひとつご紹介します。基本的な教えに、次のようなものがあります。
Silat lahir mencari kawan.
Silat batin mencari tuhan.

日本語に訳すと、次のようになります。

肉体のシラットは友を探すためにある
内面のシラットは神を探すためにある

また、lahir のかわりに、「肉体」を意味する badan という言葉が使われることもあります。そうすれば、韻を踏み、言語表現として力を増します。

この言葉は、どういう背景で語られたものなのでしょうか?

村尾 ミナンカバウの人たちは伝統的に母系制の社会を築いています。財産や家督は母から娘へと受け継がれ、男子は何も相続しません。そこで、男子はある程度の年齢に達すると生家をでて、スラウで共同生活を始めます。スラウとは母系氏族によって建てられた礼拝所です。彼らは共同生活を通して処世術を学び、スラウの導師からイスラームの教えとシレ(シラット)を学びます。そして、機が熟すと出稼ぎのために故郷を後にするのです。
このようにミナンカバウの若者にとって、友と神はこの上なく重要です。そして、友と神を心身において求める技法としてシレ(シラット)があります。とても優雅な文化だと思います。

プンチャック・シラットというものが、生きていくために最も大切なものとつながる方法として存在しているのですね。

村尾 彼らの話を聞いていると、決して上達しようとか、人より上手くなりたいとか、誰かを倒してやろう、という動機はないのです。彼らにとってシラットは、食事やお祈りと同じように、あたりまえのこととして行われていました。もちろん導師がいる時は、毎晩稽古するので、上手くはなりますよね。でも、そういうことではなく、将来知らない土地で仕事をしていく時に、自分の身を護り、導師の弟子であることが心の支えとなる、そういう武術なのです。

(インタビュー・文 つちやまきこ)
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12 映像人類学 村尾静二さん


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プンチャック・シラットは、インドネシア、
そしてマレー文化圏に起源をもつ身体文化


村尾さんは、宗教人類学者の植島啓司先生から文化人類学を、美術史家の伊藤俊治先生から映像学を学んだと伺いました。インドネシアのフィールドワークでは、どのようなことを調査されたのですか?

村尾 お二人の先生とは、大学生の頃、バリ島での調査に同行させていただいたのが始まりで、それ以来、お世話になっています。
さて、最初のフィールドワークでは、スマトラ島西部に暮らすミナンカバウ(民族名)の人たちの社会組織と宗教実践について調査しました。そして、そのなかでプンチャック・シラットが実践され、伝承されている様子を記録し、人類学映像を制作しました。ちなみに、ミナンカバウ社会では、プンチャック・シラットのことをシレ(silek)といいます。
また、次のフィールドワークでは、バリ島の内陸部に生きるダランの生活世界を調査し、人類学映像を制作しました。ダランとは、ユネスコの世界無形遺産にも指定されている伝統的な影絵芝居ワヤン・クリの遣い手のことです。

今回「To Belong」のベースになったのは、ワヤンの遣い手として、インドネシアで高く評価されているスラマット・グンドノさんというダラン(高位の影絵師)と北村さんの出会いと聞いています。また彼女が実際に学んで、インスピレーションを感じているというプンチャック・シラットという武術の世界についても、まさに村尾さんが映像作品をつくり、ご研究されているのですね。

村尾 とても興味深い偶然ですね。ところで、私がスマトラ島で記録に残したプンチャック・シラットは、この地域だけに残る伝統的なスタイルをもち、インドネシアの人もあまり見たことはないと思います。

日本の空手や他の武術と同じように、シラットにもいろいろな流派があるのですね。

村尾 北村さんがやっているプンチャック・シラット(Pencak Silat)は、インドネシア、そしてマレー文化圏に起源をもつ身体文化と位置づけられています。インドネシアには、プンチャック・シラットを統括する組織IPSI、世界のプンチャック・シラットを統括する組織PERSILATがあります。また、ジャカルタには、プンチャック・シラットの中心施設として「パデポカン」があり、その開所式で当時の大統領であるスハルトは、プンチャック・シラットをインドネシアの身体文化として位置づける演説をしました。

公的に認められた武術ということですね。都市部ではどのような位置づけで行われているのですか?

村尾 私の印象では、プンチャック・シラットは、近代スポーツの方法論--階級制、道着、交流試合、準備体操、効率的な指導法、授業料など--をも選択的に取り入れながら、インドネシアのスポーツとして、とても魅力的なものになっていると思います。都市部では、空手やテコンドーなど様々なマーシャルアーツを学ぶことができますが、プンチャック・シラットの人気は高いです。

村尾さんが調査したのは、どのようなプンチャック・シラットの姿だったのですか?

村尾 都市部から離れると、プンチャック・シラットはその土地の伝統や慣習と関係をもちながら、さまざまに実践されています。その意味づけも実践形態も様々です。西スマトラのミナンカバウの事例もこのひとつです。ローカルなプンチャック・シラットは集団の規模が小さく、都市部のように組織化されていないので、実情の把握は容易ではありません。
このように、プンチャック・シラットをインドネシアの身体文化として大局的に捉える場合、国家、都市部、地方、のレベルがあるように思います。

(インタビュー・文 つちやまきこ)
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11 映像人類学 村尾静二さん


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水戸黄門の印籠のごとく、
インドネシアでの自分を助けてもらいました。


映像人類学のご研究をされている村尾さんは、北村さんと不思議なつながりがあって、今回スタディ・グループの活動などでお世話になっており、ご登場いただきました。なんと、おふたりは大学院の同級生だったそうですね。

村尾 はい。早稲田の大学院に在籍していたとき、偶然にも同じ専攻だったようです。ただ、当時、北村さんとお話ししたことはありませんでした。

演劇と映画の専攻で、北村さん曰く、「自分はいつも遅刻して、こそこそ教室に入っていた」そうですね。彼女は当時すでにレニバッソの活動が軌道に乗っていて、かなり忙しかったのでしょうね。そして、もうひとつの偶然ですが、村尾さんは、今、北村さんが学んでいるプンチャック・シラットの先輩だったと聞きました。

村尾 たしか1998年頃、日本プンチャック・シラット協会に加わり、稽古に参加するようになりました。その後、インドネシアで長期の人類学調査をする機会を得たことにより、稽古には行けなくなってしまいました。でも、その時にお世話になった師範の方々のサポートやご紹介は、インドネシアでの調査の際に、水戸黄門の印籠のごとく、助けとなりました。本当に感謝しています。

村尾さんと北村さんがつながっていることを教えてくれたのは、中央大学の大学院の今村君で、彼は、先日ジョグジャカルタに留学してしまいました。彼は3月のワーク・イン・プログレスやスタディ・グループで、すごくサポートをしてくれました。村尾さんは、どうして、インドネシアをフィールドに選ばれたのですか?

村尾 もともと映画が好きで、その他にも演劇やダンスなど、上演芸術に広く関心を持っていました。そんなとき、インドネシアを旅したのが、始まりです。ジャワ島を中心に、バリ島やロンボク島を訪ねました。1989年当時、東南アジア最大の都市として急成長する首都ジャカルタの活力やひとつの国家のなかで多くの民族が多様な生活を営む様子に魅力を感じ、それ以来、何度もインドネシアを訪れるようになりました。

(インタビュー・文 つちやまきこ)
posted by office A/LB at 21:51| まきこの部屋 To Belong -pieces of dialogue- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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