2013年04月28日

痛みが教えてくれること

4月になったというのに・・・
松本ではまだまだ冬の装いを手放せない寒さで、桜が散ってからの雪。
昨日の夜の気温は3度!

すっかり時間が経ってしまいましたが、3月「暁」の公演にご来場頂いた皆様、ありがとうございました。
自分の作品ではできないことをやらせていただきながら、私自身、とっても楽しんで参加させていただいた公演でした。
なんといってもなかなかご一緒することのないコンドルズのメンバーさんとスタッフさんたちとの時間は笑いが絶えず、それはそれは新鮮な稽古場でした。

緊張脱力自由自在、個性的なバネバネでクネクネな身体をもつ鈴木拓郎さん、
若きエース、平原慎太郎さんのワイルドで繊細な表現に満ちたしなやかで強靭な身体、
軽々と人をもちあげるテクニックをもつ仙人のような強烈キャラクター鎌倉道彦さん、
色気たっぷりなカモシカのような身体、藤田善弘さんは振付監督や道具使い指導も同時に
こなす才人。そして、稽古中ほとんど私の相手をしてくださった、飛びぬけた存在感と静謐な分析で、たくさんのダメ出しをしてくれた石渕聡さん。
超高速回転頭脳でじゃんじゃん決断をしていくプロデューサー勝山康晴さんは稽古場でも出演者を褒める褒める!
愛情たっぷり、プレッシャーたっぷりの稽古場でした。

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打ち上げあと。プロデューサー勝山さんと石渕さんと

こんな濃いメンツに囲まれて、すばらしい時間をすごさせていただきました。
そしてまた頼もしい若きダンサーの女性陣に出会えたことも大きな収穫。
田上和佳奈さんと加藤紗希さん!
セリフもタップもコンテンポラリーもこなす力量と幅は新世代だなあ、と感心するばかり。
彼女たちのタップと一緒に男性陣とのダンスを構成していく作業は、最高にたのしかったシーンのひとつ。

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楽屋で女性ダンサー集合。加藤紗希さんと田上和佳奈さん


さて、こんな楽しい稽古場でしたが、裏物語があります・・・
劇場入りした本番3日前、まさかの右肩完全脱臼!という最悪の事態が起こってしまい、
皆さまには大変なご迷惑をおかけしてしまいました。
実は私の身体はもともと関節が柔らかく、肩関節がぐるりと一周してしまい、しばしば亜脱臼を起こす癖を持っています。しかし、本格的にズッコーンと外れてしまったのは、おそらく初めて。

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いたいたしいテーピング姿の肩

はずれた直後は、歩く振動も耐えがたく、どうやって本番に向かえばよいか、頭が真っ白になってしまいました。しかしともかく本番3日前。何ができて何ができないのか、冷静に考えなければなりませんでした。
そんな中、患部に電流を流す治療で痛みをとり、更に一つ一つ筋肉のコリをとる施術により、1日1日と痛みが和らぎ、なんと3日で運動の可動範囲が戻ってきました。
治療法を指南してくださったATR半蔵門の藤原先生、飯島接骨院の先生方、動きを分析しながら身体をほぐしてくださるトレーナーの五藤先生、本当に彼らの指導とサポートにはもう頭があがりません。

「痛みには意味があり、起こってしまった現象の元を考えること」

とてもシンプルでためになる言葉です。

痛みって実際には、結果であって、その元凶はもっと別のところにある、ということが結構あります。例えば、腰痛。これはほとんどお腹の筋肉が固まってなってしまうもの、といつもお世話になっている先生方はおっしゃいます。
足の付け根も痛いところではなく、その逆側の筋肉をほぐすと痛みがすっと消える、という経験が何度もこれまでにありました。怪我に悩むダンサーやパフォーマーは世の中にたくさんいると思うのですが、怪我と付き合いながら継続していくことを考えた場合、痛みへのアプローチは一つではない、ということは大事な発想だと思います。

消えない痛みはあきらめる。問題は身体が「怖い」と思うこと。
「また外れる、怖い!」と思うと身体は委縮して、余計な力もはいり、二次災害が起こる可能性もあり、できる動きもできなくなる・・・怖いと思うのは、身体の動きの支点がズレているからだ。支点を整えれば、できるようになる動きはあります。

こんな説明を受けながら、自分が怖いと思わない動作の支点、感覚を探しました。
そのためには・・・

無意識に落ちる重心を意識して上げることで、患部に負担をかけず腕を動かす。
足の踏み位置をできるだけ花緒の位置に置き、ここを戻ってくる場所だと身体に認識させることで、無理な運動が生じないようにする。
胸部と腕の動きをできるだけ同じ方向に連動させる。

書いてみるとシンプルですが、動きながらのコントロールはなかなか難しい。
でも肩が外れたのは、胴体の動きが鈍かったから。手足の動きの速度に胴体がついて行けなかったからなのは明らかで、胴体の動きが鈍いのは、動きの支点が落ちてきているからだ、と改めて認識ができました。

これはちょうど、プンチャック・シラットの武術で、63才になる先生の所作の速度に大変驚くことが多いのですが、先生がよく言う「胴体を一緒にほうりなげて次の攻撃に向かう」という言葉とも少し重なりました。プンチャック・シラットについては、また改めて次回に続きを書こうと思います・・・。

さてさて、無事公演が終了し、4月頭・・・Japan Dance Forum 賞をいただきました。
賞をいただくことは皆さんに御礼をお伝えする機会をいただくことだと改めて感謝の気持ちを感じています。
活動を応援して下さった皆さま、本当に心から御礼申し上げたいです。
授賞式には、私が学生時代から作品をみてくださっている方々がいらっしゃり、長いスパンで活動を見守っていただけていることに、心温まりました。本当にありがとうございます。

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授賞式の様子がこちらからご覧いただけます。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.623962654296300.1073741825.200085043350732&type=1

最後に・・・まさに春の一段落!三軒茶屋の「さんじゅうまる」で魚祭り!とってもおいしかったからまたいきたい!
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お店リンク
http://tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13027090/
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2013年04月25日

プンチャック・シラットから薫るインドネシアの土着的思想A後編 ――まな板のうえのプンチャック・シラット


プンチャック・シラットをまな板のうえで放置しておいても、面白い語りは聞けない。切り口をまちがえると、食べられなくなる。食べたことのあるひとがほとんどいないため、おいしいのかどうかも釈然としない。ただ、おいしそうな薫りがするだけだ。

プンチャック・シラットに魅了され、その薫りをもとめて歩きつづけたひとがいる。
一流のシラット競技選手で名を馳せ、プンチャック・シラットの生き字引として関係者から愛され、頼りにされていた故O’ong Maryono(オオン・マルヨノ)氏だ。

一度しかO’ong氏には会ったことがなかったが、先月の葬儀に参加してきた。葬儀では、体格と恰幅のよい壮年の男たちが、目を赤くしたり、戸惑った表情をうかべていたりしたのが印象にのこっている。葬儀の最中に、合気道的プンチャック・シラットCikalong流の達人に技をかけられて、膝をついていたのは内緒だ。

O’ong氏は、7年間にわたる文献研究と聞き書きの成果を、”Pencak Silat Merentang Waktu (1999)”としてまとめた。大学に入学したことのない在野の研究人であったが、インドネシア全土にあるプンチャック・シラットの逸話を、すべて聞いて回ったのではないかとおもうほどの尋常ではない量の情報を、400ページに詰めこんでいる。

関係者によれば、O’ong氏には、インドネシアにおけるプンチャック・シラットの現状を憂い、「プンチャック・シラットについての本を書く」ことに相当の使命感を感じていたらしい。プンチャック・シラットの多様性を見せることには成功しているが、同時にプンチャック・シラットについて、散逸的な印象を与えることになってしまっている。

O’ong氏の最大の失敗は、プンチャック・シラットの定義論争を避けたことである。
足であつめた情報、耳にした伝聞から引き出された、彼なりの意見・結論、というものは、この著作からは見えてこない。

O’ong氏の史料研究と文献調査、聞き取り調査の様子を読む限り、彼は、プンチャック・シラットに関連のありそうな身体文化を、徹底的に探しもとめたように見える。史料を分析し、結論づけるには拙速な分析だが、彼は「人類の創成と格闘術は切り離せない」「仏教遺跡(ボロブドゥール)の戦闘をあらわしているようなレリーフは、当時から、格闘術が存在していたことを示唆しているのではないか」という仮説を立てる。また、プンチャッ(penca)という記述のある13〜16世紀に成立したと思しき一節のスンダ語の詩から、「東南アジア島嶼部におけるプンチャック・シラットは当時からすでに現在と同様の機能を果たしていた」という主張を展開する。オランダ植民地期(17世紀~20世紀前半)の状況を調べるために、オランダのレイデン大学まで出かけるほどである。

プンチャック・シラットの芸術面についても、西ジャワとスマトラのみに制限してはいても、現地の伝統芸能とプンチャック・シラットの関わりについて、相当、丹念に調べている。

しかし、これだけ調べつくしておきながら、プンチャック・シラットの定義・用語法については、「プンチャック・シラットという用語が政府に公認される1973年以前についても、特定の専門用語を用いていた流派を指し示す場合以外、とくに必要がなければ、国家の掲げる方針に従う・・・(中略)・・・プンチャック・シラットのもつ意味の潤沢さを否定するつもりはない。本来なら、こうしたすべての解釈は(一部分の)真実を含んでおり、どの視点からプンチャック・シラットを観察するか、どの面を強調するか、に依存するものである。」[O’ong 1999: 8-9]【今村訳、原文はインドネシア語】という控えめな態度を見せる。

プンチャック・シラットとはなんなのか、を考え、40歳代の約10年間を費やして、探しもとめた結果の答えは、中立をとおりこして、迎合している。なにが起きたのかはわからないが、悲劇的ですらある。この本に続くO’ong氏の著作がないのは、なにかを暗示しているようにすら見える。

とにもかくにも、彼は集めた事例・データを総合するような結論を引き出さなかった。
プンチャック・シラットに関する、社会・文化的研究に支えられた、実用的で、現実に即した、客観的な定義を確立するには、まだまだ時間が必要なのだろう。


・・・というわけで、私は卑怯にもバイパスする。


O’ong Maryono
1999 Pencak Silat Merentang Waktu. Yogyakarta: Galang Press.(英語版もある。しかし、販売元に問い合わせないと、入手はむずかしいだろう)
posted by office A/LB at 11:07| プンチャック・シラット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

プンチャック・シラットから薫るインドネシアの土着的思想A前編 ――プンチャック・シラットってなにさ?

法人類学(または法の人類学的研究)のはなしをしようと思ったが、そのまえに、プンチャック・シラットという身体文化を、社会・文化研究のまな板にあげておく必要がある。

ところが、プンチャック・シラットとしての身体文化についての、社会・文化的研究に支えられた、実用的で、現実に即した、客観的な定義、に出会うことはすくない。プンチャック・シラットの代表組織が提示する定義は、どう見ても組織内政治の影響を脱していない。

なぜこのようなことが起きているのか。

社会学的・人類学的な現実に即した定義をあぶりだそう、という学術的な努力が、近年までほとんどされてこなかったからだ。プンチャック・シラットを学ぶひとびとから提出される資料の多くは、自文化中心主義にもとづくプンチャック・シラット愛であふれかえっており、調査研究には直接役立ちそうにはない。

研究者は研究者で、「ただの格闘技でしょ?」と決めつけ、寄ってこない。たしかに、目に見える社会問題に直結するわけではない。運動系の学部の卒論は、体育学的な議論に傾くので、頼りにならない。

しかし、ひとたび奥のほうまで見てみようとすると、武将精神や庶民的哲学の奥義に言及するものがあり、インドネシア人の思考の足跡を見つけることができる。村落の治安維持組織の構成員養成を司ると同時に、暴力行為や刑事事件の温床にもなっただろう。口承伝統の濃いインドネシアでは、プンチャック・シラットにまつわる逸話が、民衆史を再構成するための材料になるのではなかろうか。

自分のプンチャック・シラットつながりの知り合いの多くは、彼らの知る限りのプンチャック・シラットを愛してしまっていて、彼らが知らないプンチャック・シラットについての情報を受け入れるだけの余裕がない。いっぽう、民間研究者として、文化相対主義的な観点からプンチャック・シラットについての調査を開始しているひとびともいる。学術的に有用な分析・議論は、はじまったばかりである。


・・・要するに、「プンチャック・シラットとはなにか」という問いをたてたところで、社会・文化的な研究における学術的な信憑性の高い答えは返ってこないのである。ひらたくいえば、現在語られている「プンチャック・シラットの定義」とは、各個人の経験・知識にもとづく解釈の産物か、または学術上の暫定的な到達点なのである。

この食材、まな板にあげるまでが一苦労だ。
posted by office A/LB at 13:46| プンチャック・シラット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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