2013年04月04日

プンチャック・シラットから薫るインドネシアの土着的思想@ ――格闘技術を事例に文化研究なんてできるのか。



情報収集のお手伝いをしている大学院生の今村です。
インドネシアのジョクジャカルタに留学して半年がたちました。

北村は現代舞踊、今村は研究論文という形で「プンチャック・シラットを活用した作品づくり」をしています。なので、もしかしたら、自分の研究内容が本プロジェクトのなにかの参考になるかも、と思い、インドネシア・レポートを兼ねて、リサーチの現状を記事にしてみました。

皆様のなにかのお役に立てればと思います。
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「プンチャック・シラットという護身術の実社会における役割を研究しています」

こう自己紹介すると、だいたい首をかしげられる。やめてくれ。
正直、この文句を述べるたびに、自分自身も首をかしげたくなるのだから。

「プンチャック・シラットは1000年近く歴史がある文化だ」とか言っておきながら、プンチャック・シラットについての「歴史的な根拠のある」「読み物として楽しい・役立つ」文化論がなかなか見つからない。あまりの腹立たしさに「ええい、いっそ自分で書いてやる!」と意気込んでリサーチを開始する。

しかし、リサーチは遅々として進まない。プロポーサルは迷走し続ける。指導教官からの「社会学・人類学系の学会で達人技を見せられても、素人にはわからん」「インドネシア人の日常生活のなかで、プンチャック・シラットの使い手が果たす役割を探せ」のアドバイスを頼りに、五里霧中の4年間を過ごす。

2012年9月、現状を一気にくつがえすような方程式を探しもとめて、プンチャック・シラットの本場、インドネシアに飛ぶ。


現実は厳しい。

インドネシア・プンチャック・シラット連盟ルールの試合を見ると、ただの殴り合い・蹴り合い・投げ飛ばしあいのスポーツにしか見えない。ほんとにプンチャック・シラットの文化論的研究なんかできるのか不安になってくる。

実際に練習に参加してみると、プンチャック・シラットは、空手や柔道のような、格闘についての技術のひとつであるらしいことがわかる。しかし、文化として重要性は一体どこにあるのか、指導者や門下生に聞いてみても、納得のいく答えが返ってこない。

外国格闘技からの影響や、近隣諸国の状況を鑑みると、プンチャック・シラットをインドネシア固有のもの、とするのは微妙なところだ。「創られた伝統」の要素もある。あたまの中で、固有という概念のゲシュタルト崩壊が起きそうだ。


方程式のヒントは、古老たちの語りにあった。

ツテを頼りに、西ジャワのプンチャック・シラットの古老や達人に会ってみると、彼らは、彼らが参加する流派のもつ歴史性、思想・信条、社会における役割を流暢に語る。彼らの語りは、その土地の根付いた思想・哲学を伝えているように見えた。土くささが薫る彼らの思想・哲学は、その土地その土地の厳しい環境を生き抜くための処世術のようであったり、人生の意味を考えさせるようなものであったり、高貴さや忠誠心、宗教的敬虔といった抽象的な道徳を説くものであったりした。

さらに、オランダ植民地期には、プンチャック・シラットの使い手が市民警察のような役割を果たしていたし、第二次世界大戦後のオランダからの独立戦争では、兵器の物量で劣る独立勢力側を、プンチャック・シラットの使い手たちがその技でもって強烈に支持した、という語りにも出会う。現代のジャカルタでは、国家警察よりもプンチャック・シラットの使い手の集団が公安に関して優越する地域まであるという。

古老や達人の語りは、プンチャック・シラットが単なるケンカの技術ではないことのひとつの証明に見える。彼らの語りは、プンチャック・シラットを社会・文化的な側面から考察することの妥当性を担保してくれるように思えた。

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次回、

プンチャック・シラットから薫るインドネシアの土着的思想A
――プンチャック・シラット×法人類学=慣習法世界の警護組織?

につづく(はず)。
posted by office A/LB at 09:24| プンチャック・シラット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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