2013年04月24日

プンチャック・シラットから薫るインドネシアの土着的思想A前編 ――プンチャック・シラットってなにさ?

法人類学(または法の人類学的研究)のはなしをしようと思ったが、そのまえに、プンチャック・シラットという身体文化を、社会・文化研究のまな板にあげておく必要がある。

ところが、プンチャック・シラットとしての身体文化についての、社会・文化的研究に支えられた、実用的で、現実に即した、客観的な定義、に出会うことはすくない。プンチャック・シラットの代表組織が提示する定義は、どう見ても組織内政治の影響を脱していない。

なぜこのようなことが起きているのか。

社会学的・人類学的な現実に即した定義をあぶりだそう、という学術的な努力が、近年までほとんどされてこなかったからだ。プンチャック・シラットを学ぶひとびとから提出される資料の多くは、自文化中心主義にもとづくプンチャック・シラット愛であふれかえっており、調査研究には直接役立ちそうにはない。

研究者は研究者で、「ただの格闘技でしょ?」と決めつけ、寄ってこない。たしかに、目に見える社会問題に直結するわけではない。運動系の学部の卒論は、体育学的な議論に傾くので、頼りにならない。

しかし、ひとたび奥のほうまで見てみようとすると、武将精神や庶民的哲学の奥義に言及するものがあり、インドネシア人の思考の足跡を見つけることができる。村落の治安維持組織の構成員養成を司ると同時に、暴力行為や刑事事件の温床にもなっただろう。口承伝統の濃いインドネシアでは、プンチャック・シラットにまつわる逸話が、民衆史を再構成するための材料になるのではなかろうか。

自分のプンチャック・シラットつながりの知り合いの多くは、彼らの知る限りのプンチャック・シラットを愛してしまっていて、彼らが知らないプンチャック・シラットについての情報を受け入れるだけの余裕がない。いっぽう、民間研究者として、文化相対主義的な観点からプンチャック・シラットについての調査を開始しているひとびともいる。学術的に有用な分析・議論は、はじまったばかりである。


・・・要するに、「プンチャック・シラットとはなにか」という問いをたてたところで、社会・文化的な研究における学術的な信憑性の高い答えは返ってこないのである。ひらたくいえば、現在語られている「プンチャック・シラットの定義」とは、各個人の経験・知識にもとづく解釈の産物か、または学術上の暫定的な到達点なのである。

この食材、まな板にあげるまでが一苦労だ。
posted by office A/LB at 13:46| プンチャック・シラット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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