2012年07月11日

インドネシアの文化研究について

こんにちは。
研究書と文献コピーの山に囲まれておろおろしている今村です。
今、インドネシア研究をやることには、どのような意味があるのか。
毎日考えています。

今回は、私がインドネシアの文献を読むなかで気づいたことを書いてみます。


インドネシアのジャワ研究に関係する文献を集めようとすると、気が滅入るほど出てきます。
政治的で血なまぐさくてドギツイものから、ジャワ人の精神世界の内奥を探究したものまで山のようにあります。

ところが、過去のジャワ研究にはなんとなく違和感を感じるものが少なくないです。
「完全無欠ですばらしい精神性をもったジャワ文化と、それを支えるジャワ人」という構図が少なからず見え隠れするのです。

インドネシア国民やジャワ人を考えるうえでは、たしかにそうしたモデルは絶大な力を発揮してきました。
しかし、インドネシアのジャワ文化のど真ん中であるジョクジャカルタに1年間(2008-09年)暮らしていた身としては、これがどうしても納得できません。
インドネシアに住む友人は、羨望や欲情、嫉妬や不安などの負の感情も抱える親しみやすい人達ばかりだったからです。

案の定、あるときを境にこうした研究はかげをひそめ、より現実社会に拠ったものが増えてきました。
それは、1998年のスハルト政権崩壊後からです。30余年にわたりスハルトが中央に集めつづけてきた権力は、地方に拡散していました。
インドネシア政府による政策やイデオロギーのおしつけに、国民が反対を表明するチャンスが生まれるようになったのです。
これにより、イスラームの民間組織も政治的な活動を本格的に活発化させられるようになりました。

そのためか、グローバルな論理を念頭に入れたインドネシア・イスラームの研究や、インドネシアにおける地方分権・地方政治の実相をうつす研究が増えてきました。
いっぽうで、インドネシアの文化そのものに関する研究はあまり見られなくなってきているように思います。実際、 2000年以降に出たインドネシア関連の文献は政治・経済関係のものが大半を占めています。

政府によりおさえつけられていた国民間の負のエネルギーは、今も開放の場所を求めています。
創作活動はそうしたエネルギーの受け皿になっていくはずですし、だからこそ、グンドノの現代風刺を含むワヤンは高く評価されているのではないでしょうか。

インドネシアの文化研究は、今まさにあたらしい局面を迎えようとしている、と感じています。


…という内容を頭に置きながら読書すると、より多面的にインドネシアに迫れるような気がしています。


◯オススメの本
ベネディクト・アンダーソン
 2009『ヤシガラ椀の外へ』加藤剛訳、NTT出版。
ヤシガラ椀の外へ.JPG

『想像の共同体』で有名なアメリカ人研究者ベネディクト・アンダーソンの日本限定自伝。昨日、神保町で見かけ、20分近く立ち読みしたすえに買ってしまった。ものすごくわかりやすい日本語で書かれている。インドネシアとすこしでも格闘してみよう、と思ったひとが読むと、ものすごく励まされ、勇気づけられる。
posted by imann at 08:55| インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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